~はじめに~
本ブログは茶トラが体験した太平洋戦争当時の様子をなるべくリアルにお伝えするため、
現在では不適切な表現が含まれている可能性があります。


私「おかあさん、早く!もうみんな集合してるよ! 在郷軍人のおじさんがメガホンで大声で怒鳴っている。早く!早く行こう!」

在郷軍人のおじさん「〇〇町の1班から10班は全員揃ったか?!5班はまだか?!いつも5班は集まりが悪い!!組長さんしっかりお願いします!!」

5班の組長「はいっ!!」

おじさん「さて、今日の防火訓練は、焼夷弾がお米屋の家に落ちて家が燃えているのを、バケツリレーで消火する訓練です。まず梯子を使って屋根に登り、下からバケツリレーで運ばれた水で消火する。水は防火水槽にあります。」

おじさん「では、焼夷弾が米屋の柳本さんちの二階に落ちてきました。訓練開始!!」

みんな「わー!!」

おじさん「逃げるな、火を消せ!」


Tokyo_after_the_1945_air_raid
※焼け野原になった東京市街 Wikipediaより

~茶トラの解説~ 

〇在郷軍人とは
平時は民間で働いているが、戦時には必要に応じて召集され国防の任に就く予備役、後備役、帰休兵、退役軍人等々

〇防空法 
防空法は1937年(昭和12年)4月5日に公布され同年10月1日より施行された法律で、この法律によって防空訓練は日中戦争が始まった頃から定期的に行われていましたが、この防空訓練は太平洋戦争に入ってからは日常化して家庭の主婦までが駆り出されることとなった。

〇戦時下の日本のトンデモ安全神話
在郷軍人の「逃げるな、火を消せ!」このスローガンのもと、隣組を結成し防火訓練を行っていたが、実際に空襲に会って爆撃されたらこの訓練は全く役に立たなかったようです。この時僕は学童疎開で箱根にいたので空襲の現地にはおりませんでしたが、姉から空襲の時の人々の行動について聞いた話でした。

~サバトラの編集後記~

前回の「となりぐみ」で出てきた防火訓練のお話でした。実際に空襲の危機が迫り、日常的に訓練が行われていたというのは、今ではなかなか想像し辛いですね。
茶トラの解説にもある通り、「逃げるな、火を消せ!」と言われても怖くて逃げちゃいますよね。


この記事を書いた人
専務 (茶トラ)

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・馬
・たべもの

茶トラ